2019-04-20

    2019年04月20日(土) 「風立ちぬ」


    2019年04月20日(土)
    「風立ちぬ」



    ■10連休が待ち遠しい頃合いになった。気候も寒の戻りがなくなって、ようやく春っぽい暖かいものになってきた。なのに桜(ソメイヨシノ)の花は、もうほとんど散ってしまった。桜の花が見頃になる時期と春らしい陽気が当たり前になる時期が一緒になる年は滅多にないようになって久しいと感じる。おそらく今年もこれから急に暖かさから暑さへと移行していくのだろう。それを考えると夏の酷暑が思いやられるが、それは少々気が早いか。まずはゴールデンウィークが天気に恵まれることを望む。

     以前に少々触れたが、先月辺りに少々極端なポッコリお腹になってしまった。家人に見せたところ、お腹の中に何か腫瘍みたいなものができていて、それがだんだん大きくなっているんじゃないかと疑われ、真剣に一度医者に診てもらった方がいい、と言われた。
    「んなアホな! ただのメタボ腹や」と笑って言い返したが、自分のその姿を鏡に映して見るに、まるで「臨月に入った細身の妊婦」のように思えた。腹と腰の辺りだけを誰かに見せて、「妊婦だ」と言えば、そのまま何の疑いもなく受け入れられるんじゃないかと思える像に見えた。
     体重は標準であったが、僕にしては少々多めだった。そして何より胃腸の膨満感を毎日のように感じるようになっていた。
     このままでいたら僕の腹は、いったいどうなるのだろう。そんな怖いもの見たさの気持ちが確かにあったのだけれど、どう考えても美しいものではなく醜悪なものになるであろうから、そんな好奇心を満たすようなことをするのではなく、以前のもう少しスリムな腹周りに戻すべきだと思い直した。
     その日から僕は食事の量を少し減らした。併せて日々の体重と摂取したものの重さを書き留めておくようにした。世間でよく耳にする「レコーディングダイエット」の類になるのだろう。とにかく摂取に関して意識を持つようにしようと思ったのだ。更には以前服用していた「ナイシトール」という薬を定期的に服むことを再開した。お通じが悪くなっていたことも、おそらく原因の一要因を思えたからだ。

     そんな食生活を約一ヵ月続けた結果、腹部のポッコリ感は、まだまだメタボ感満載ではあるが、けっこう解消された。膨満感を感じることが減り、代わりに空腹感を感じるようになった。それで、そう言えばずっと、まともな空腹感というものを感じていなかったことにも気が付いた。
     たとえが良くないかも知れないが、おそらく僕の腹は「らくだの瘤」のようになっていたのではなかろうか。つまり腹の中に内脂肪はもちろんのこと、日々消化する量以上の栄養の類が蓄積し続けていたのではないか。だから決して多くはない、世間一般的なカロリーを摂取していたのにも関わらず、腹がポッコリ化を続け、慢性的膨満感を生み出していたのではないか。
     確かに運動不足もあった。老化による新陳代謝の衰えにより、少し動いたくらいでは体はまったくと言っていいほど反応しなくなった。しかし、これでも毎日の通勤で確実に6Km以上は歩いていたから、まったく運動をしていなかったわけではないのだ。その点を考えると、6Km以上歩いても消費できないくらいの定期的なカロリーを摂取していたのかも知れないのだけれど、だからと言って、そんなに大食いをしていたわけでもないのに、なぜだろう。
     これはやはり体のポンコツ化が進んでいることに対する、体自身の防衛反応というものであるような気がする。体がこのままではポンコツ化に負けてしまうと判断し必要以上に栄養を貯えようとしているのではないか。
     そんな体の気持ちがわからないわけではない。しかし、だからと言って、このまま看過してしまうと、僕が一番なりたくない「中高年デブ」になってしまいかねない。だから僕は対応を行った。今回僕がレコーディングダイエットの類を行ったことにより栄養の供給量が減った。僕にしてみれば「栄養の過剰在庫」状態であって、それを抑止して「体内栄養のリストラ」を行ったようなものであるが、その結果、「らくだの瘤」と化していた僕の腹部は、体の各部に対して過剰分の栄養を送るだけで済んでいたのが、蓄財していた栄養を送らねばならない状態、つまりは「栄養の在庫不足」になった。僕にとっては「栄養の適性在庫」化なのだけれど、果たして体がこれからどうなっていくのか自分ではわからない。(断っておくが僕には医学に対する知識など微塵もないので、こういった考えは、あくまでも「個人の感想」である。)
     この一ヵ月弱で体重は3Kg以上減った。今のところ更に3Kg以上のマイナスを目論んでいる。前述したとおり、体がこれからどうなっていくのか自分ではよくわからない。しかし、体が軽くなったと感じているのは歴然たる事実だ。体と相談しながら、まだまだ減量を続ける予定である。


    ■最近の観たり読んだり。

    「風立ちぬ」
     ジブリのアニメ映画の方だ。公開時から是非とも観たいと思っていたが機会に恵まれず、今に至っていた。
     僕は特にジブリの映画が好きというわけではない。好きなものがあれば、「何じゃこれ?」と思わざるを得ないものがあるし、中には「駄作もいいところ」と思える作品もある。だから実際のところ「風立ちぬ」は、どうなんだろうと思っていた。今回実際に観るまで僕が持っていたこの作品の予備知識と言えば、主人公である「堀越二郎」という実在の人物のことと、同じ題名の小説を書いた「堀辰雄」という作家のこと、そしてユーミンの「ひこうき雲」がバックに流れるこの作品の予告編くらいだった。
     感想はネタバレになるので詳細は伏せるが、全体的には良い作品だと思った。ただ、エンディングをもう少し何とかできなかったのだろうか。それが僕的にはすごく残念に思えた。
     それともう一つ書くとすると、主題歌とされたユーミンの「ひこうき雲」という歌の存在だ。これはネタバレになってしまうが、敢えて書く。この作品におけるこの歌の存在が僕には合点がいかない。エンドロールで、この歌が流れるが本編ではまったく使われていないのだ。本編では何という題名かわからないが、この作品の切なさを顕著に代弁していると思える調べが随所に流れる。僕には、この調べこそがエンドロールで流されるべきだと思えたし、逆にエンドロールで「ひこうき雲」を流すのであれば、劇中にても一度でもいいから流すべきだったんじゃないかと思えた。確かに劇中には流れずにエンドロールでのみ主題歌が流れるという映画は星の数ほどあるから、この「風立ちぬ」がそうであっても特段何もおかしくはない。しかし「ひこうき雲」という歌のイメージと、この作品のイメージ、そして予告編で「ひこうき雲」がBGMとして全面的に使われていたことを考えると、どうにも合点がいかない。悪い言い方をすると、あれではユーミンの「ひこうき雲」という歌の知名度を利用して、この作品を売り込もうとしたんじゃないかと勘繰ってしまう。
     ユーミンの「ひこうき雲」は、それ自体、昔から大好きな歌の一つだ。(実際のところ、この頃のユーミンの方が今のユーミンよりも僕は数倍好きだ。)だからこそだろう、エンディングでこの歌が流れて思わず泣きそうになってしまった時、僕はそれに違和感を感じずにはいられなかった。

     話が少々はずれてしまうが、歳を取って改めて認識したことがある。それは、自分が実は大正時代や初期の昭和の世界が好きなのだということだ。風景、街並み、建物、ファッション、当時生きていた人たちの考え方、所作振る舞い等等、たぶん今よりも不便で不自由な世界だったと思うのだけれど、その頃の書物(例えば小説など)を読んだり写真や映像を見たりすると、必ずと言っていいほど憧憬の念のような気持ちが体内に溢れ出すのだ。ひょっとして自分の前世は、その頃に生きていた人間だったんじゃないだろうかと思ったりする。もちろん戦時中の世界なんてまっぴら御免なのだけれど、戦争さえなかったら、あの時代はあの時代で、とてもいい世界だったんじゃないだろうか。極端なことを言うと、必要以上の便利さと必要以上のモノに溢れまくっている今なんかよりも、ずっとずっと人間が人間らしく生きることができた時代のような気もする。だから「どちらの時代を選ぶか?」と訊かれたら、僕は今を選ばないかも知れない。
     ただ現実には僕は今を生きていて、その「今」は、まだタイムマシンも存在していないから、あの時代を訪れることはできない。仕方がないから堀辰雄の「風立ちぬ」という小説を、今はじっくり読み進めているところだ。



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