2018-06-14

    第96話 初めてのオートバイのこと(2) (初掲載 2017年6月22(木))

     それは「タウニー」という原チャリで当時ヤマハ発動機が製造販売していたものだ。
     色は緑。当時ジャズ演奏家の渡辺貞夫が工事現場近くで作業員のおっちゃんに「いいなーこれ」と言われて「いいでしょ、これ」と受け答えしていたCM(確か「男のソフトバイク」っていうキャッチフレーズだったと思う)が流れていたから僕もこの原チャリのことは知っていた。ちょうど母親が最初に乗っていたホンダのロードパルを思い起こさせるような形態、つまりこれもミニサイクルにエンジンを載せたようなバイクだった。

     友人が廃車にすると言っていたくらいだから、もうかなりオンボロなのだろうと思っていたが、それは普通に乗るのに十分な状態だった。確かに見た目はどうみてもオンボロに近いような雰囲気であったが、おしゃれなどにとんと興味のなかった僕であったから、ちょっとくらいの汚れなんてまったく気にならなかった。ちょっとボディを拭いてやると、それでそれなりにきれいになったから見た目もそれで十分だと思った。それにそんなバイクの見てくれのことよりも、自分が初めてきちんとバイクに乗るのだということに僕は少なからずワクワクしていたから、僕は早くそれに乗ってみたかった。

     役所でもらったナンバープレートを装着した。ドライバー一本でこんなに簡単に装着できることに少々驚いたことを今でも記憶している。

     友人からキーを受け取ると、僕はタウニーに跨った。
     イグニッションにキーを差し込み、「始動」に回す。
     キックペダルを踏み込むとエンジンがかかった。
     キーを「走行」にしてアクセルを回すと、タウニーは僕を乗せて軽快に走り始めた。これが僕が初めてオートバイというものに乗った瞬間だった。

     アクセルを全開にすると時速は簡単に40Kmを超えた。スクーターではなく、まさに「ミニサイクルにエンジンを載せたようなバイク」だったから、ものの数分で乗りこなすことができた。当時はまだ原チャリはヘルメットを被ることが義務付けられていなかった時代だ。ノーヘルでバイクに乗った感覚は、たかが原チャリではあったが、それは紛れもなく風との一体感だった。アクセルを回せば回すほど、空気が向かい風になって顔に叩きつけられるのだけれど、後ろから吹いて僕を追い越していた風に追いついた時、その風と一緒に動いていることを僕は実感したのだ。たかが3~40Kmというスピードだったのだけれど、これが風と一体になるということなのだと僕は理解したのだった。

     さてこのタウニー、エンジンはどんなものだったのだろう。詳しくは覚えていないが、確か2スト用のオイルを何度か補充したことがあるから、これも間違いなく空冷単気筒2ストエンジンだったと思う。(いや当時の原チャリで水冷だの4ストというのはなかったと思うから、やっぱり間違いなく空冷単気筒2ストエンジンであっただろう。)
     アクセルを全開にすると、やっぱり2ストエンジン特有の(「パパパパーン」とでも表現すればいいか?)乾いた音がした。
     バッテリーが経年劣化していたから、その後すぐに交換したけれど、それ以外は何の問題もないバイクだった。

     僕はこのタウニーを手に入れたことにより、自宅近所のコンビニエンスストアでのアルバイトを辞め、大阪の中心地にあるパンとケーキの店での店員のアルバイトを始めた。帰りの最終電車の終着駅である途中の駅までタウニーを走らせ、そこから電車に乗った。帰りは最終電車に乗り、終着駅でタウニーに乗り換えて自宅へと走らせた。
     そんな生活を僕は(途中で一人暮らしをするなど色々あったが)2年間続けた。その間このタウニーは、けっこうな割合で僕の足となってくれた。時には大学まで乗り付け、そして講義が終わるとそのままタウニーに乗ってバイトに行ったことも珍しくなかった。(あの新御堂筋をそのオンボロタウニーでよく走っていた。今から考えるとけっこう恐ろしい。)

     このタウニー、最後はどうだったのだろう。元々かなりの距離を走行した後僕のもとにやってきて、更に僕があちこち乗り回した。だから最期の頃はバッテリーを交換しても電気系統の調子は良くならず、エンジンもだいぶんくたびれてしまってアクセルを回してもスピードが出なくなったものだから乗る機会が激減して実家に置いたままにすることが多くなった。そして確か大学を卒業する頃に廃車にした……と思う。

    「と思う」と書いたが実はよく覚えていない。あれだけ乗り回した、僕の初めてオートバイだったのに、その頃の僕にはオートバイに対する思い入れなんてものが全然なくて、オートバイはあくまでも移動手段の一つというふうにしか考えていなかったから、たぶん廃車にする時もあっさりとしたものだったんじゃないかと思う。
     でもあれから30年以上経ち、その間にオートバイというものに本当に魅せられたという経験をした今の僕は、この頃のことに関してちょっと後悔している。それはあのタウニーの写真が一枚もないことだ。あれだけ乗り回したのに一度もその機会がなかった、というかそんな気持ちが起こりもしなかった。我ながら薄情なものだと思う。あの頃せめて一枚くらい、あのタウニーとの写真を撮っておくべきだった。

     更に今だから気づく。たかが原チャリのタウニーではあったが、あれも間違いなく「オートバイ」だった。範囲は大したものではなかったのだけれど、僕の行動範囲をそれまでと比べて飛躍的に広げてくれた、まさに「青春のオートバイ」だったのだ。

     タウニーと別れ、そして社会人になった僕は、またオートバイというものを意識しない生活を送ることになった。しかし、やはり僕の運命だったのであろう、しばらくして僕は本格的にオートバイというものに魅せられることになるのだが、この話はまた別の機会にする。


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