2018-03-01

    2018年3月1日(木) 歴史、眉唾物の代表?

    ■数日前だったと思うが新聞にある記事が掲載されていた。題目などは忘れたが、中身をざっくり書くと、坂本龍馬が亀山社中に関わっていなかったという説が出たというものだ。通説としては亀山社中を作ったのは坂本龍馬だというのが当たり前のようにまかり通っているが記事によると、それがどうも怪しいらしい。亀山社中に坂本龍馬が関わっていないということは、その後に発展していく海援隊に関しても坂本龍馬が本当に関わっていたのかという疑問にもたどり着く。その他、通説だと亀山社中や海援隊との事柄に西郷隆盛も関わっていることになっているが、これもけっこう怪しいらしい。つまりこういった歴史の通説には甚だ疑問点が多いのだ。最近のきちんとした調査によって新事実や新説も数多く出てきていると聞く。

     この記事を読んで僕は「さもありなん」と思った。僕に言わせれば通説の日本史、特に僕たちが学校で習った日本史なんて、はっきり言って「眉唾物」に等しい。
     そもそも日本の歴史というものが、旧石器時代に始まり、縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代、そして明治、大正、昭和へという流れであると体系づけされたのは、いったいいつなのだろうか? この体系は完全に当たり前のものとして現代人に刷り込まれているが、果たしてこれが本当というか事実であるのかという点に関しては個人的には大いなるクエスチョンが付くのだ。
     例えばこの体系を江戸時代の日本人が知っていただろうか? もちろん江戸時代の後の明治だとかは無視するとして、江戸時代の人間がそれまでの日本の歴史を前述したような体系として捉えていただろうか? 

     あの頃の庶民がそんなことを知るわけがない。これは僕もそう思う。当時は現代のような教育制度など確立していなかったから、仮に知っていたとしてもそれはかなり上の知識人レベルの人間くらいであったに違いあるまい。そこらの長屋に住んでいた魚屋の太助が知っているとは到底思えない。もっと言えば知識人であったとしたって怪しいものだ。江戸時代になる前の日本がいったいどんな状況であったかなんて風の噂レベルで伝承された民話や言い伝えに沿って勝手に考えられただろう。科学的な道具の類なと皆無であった時代だ。時の権力者の意向に沿った内容が当たり前のように反映されたものが後世に残りもしただろう。だから個人的にはやっぱり今以上の眉唾物と思えて仕方がない。

     では現代では当たり前になっている前述した日本の歴史の体系って、いったいいつ誰が確立させたのだろうか?
     個人的な推測だが、おそらく戦後の復興期に、それまでの天皇制を礎にして作られた歴史からGHQ主導の民主的なものに変えられたのではないかと僕はみる。更にはその後の文部省による学習指導要領による歴史教科書への介入と学歴主義に基づく受験という制度により、それぞれに都合の良い内容によって今日のような内容で定着したのだろうと推測する。
     とどのつまりは、やっぱり権力者の類に都合が良くなるように作られ、そして利用され、更には僕ら国民をその内容で(ある意味)洗脳したということだ。そしてそれが今頃になって「事実に反する」だとか「怪しい」、「本当に存在したのか」といった真実や疑問にさらされ始めているのだ。
     つい最近では聖徳太子という人物が実は存在しなかったというような話が世間を賑わせた。僕自身最近知ったのだが鎌倉幕府が設立されたのが、それまでの1192年から1185年に変えられたりもしている。他にも表沙汰にはなっていないだけで実は事実とまったく違うっていうようなことが山のようにあるのだろう。ただそれを世間に公表すると色々なところで都合の悪いことが起こる。例えば受験勉強をはじめとする学校教育や入試への影響度なんて計り知れないだろう。そもそも事実と違うことをあたかも事実であるかのように無理やり教え込み、それを入学者を選ぶ方法の一部としているとしたら、それはそれで大変なことだ。だからできるだけ公表しない。公表すれば官僚や政治家レベルでの責任問題に発展することだって考えられるし場合によっては過去の政治家や官僚たちの責任問題にも波及するだろう。そんなことを政治家、いや政治屋や官僚屋たちが素直に認めるわけがないのだ。
     こうして今になって様々な歴史的事実が明らかになって、これまでの通説の当たり前とされていた教科書に基づく日本の歴史というものが、かなりの眉唾物であるとバレてきた。そして僕たちはそれに長い間洗脳され続けてきたのだ。そして、これからもそれは続くのだろう。誰も通説の日本史のことなど疑わない。疑って真実が白日に曝されたところで受験生であるならまだしも、もういい大人になってしまっていたら、はっきり言ってどうでもいい類のことだ。「デタラメを教えやがって!」とか「俺たちは眉唾物に踊らされ続けていたのかよ!」と憤ったとしてもだあれも責任なんか取ってくれない。
     しょせん歴史なんて結局は誰も真実なんて知らないわけで、遺跡だの古文書だの言い伝えだのといったものから、その都度関係していた人間たちが好き勝手に想像して作り上げたものであることには違いあるまい。更にはその元になっている遺跡や古文書の類だって突き詰めて考えてみれば怪しいではないか。専門家によって、ここには何らかの建物の柱があったことを意味する穴のようなものが発掘されたとか、この古文書には、これこれこういうことが書いてあって、まさに遺跡の状況から想像される事象と合致しているから、おそらくこの時代にこれこれこういうことがあったのだろうと推測される……ってな話をよく耳にするが、その遺跡や古文書もどこまで信用できるんだろうね。
     その穴は単に気まぐれで誰かが排泄物を埋めるために掘っただけかも知れない。それに古文書が本当に事実を書いているという保証なんてものもどこにもないではないか。例えば現代に溢れているような単なるフィクションや作り話を書いた大衆雑誌的なものだったかも知れないではないか。確かに書いてあることが歴史的な情緒や羨望などを喚起するだろうから歴史ファンにとっては楽しいことなのだろうが、だからといって間違いなく真実であるかの如く扱われるのは甚だ疑問だ。それも単に専門家の鑑定というものが基準になっているようで、何だか非常に胡散臭い。事実、何年前だったか忘れたが発掘によって複数の新発見をしたという専門家がいたが、実はそのほとんどが捏造であったということがあった。そんなの氷山の一角だろうと僕は見ているが、どうであろう?

     確かに、歴史なんて誰も真実を知らないから、ある程度の基準を勝手に作り上げざるを得ないのかも知れない。だが、それをさも真実であるかのように学校教育で叩き込むのはおかしな話だ。それならそれで想像によって作られていることをきちんと前提として教えた上でやるべきだ。どこの国もそうだろうが、国はそういった前提を僕たちに知らすことなく教育を行っている。だから後々になって実はあれは事実ではなかったと世間から知らされる度に僕なんかは腹が立つのである。

     さてさて、冒頭で亀山社中に坂本龍馬が関わっていないかも知れないという新聞記事の話を書いたが、もしかしたら坂本龍馬自体が本当に存在していたのかも怪しかないか?
     そもそも日本国民が坂本龍馬という人物のことを知ったのが明治に入って20年くらい経ってからだと以前聞いたことがある。何でも時の皇后陛下(だったかしら?)の夢枕に誰かが出てきて、日本はロシアに(戦争で)勝てるというようなことを話した、ということを当時の宮内大臣が耳にして、この人物ではないかということで坂本龍馬の写真を皇后陛下に見せたところ、この人物だということになり坂本龍馬は一躍「海軍の神様」(だったと思う)として日本全国に知られたそうだ。
     どうだい? こういう事実を知ると怪しいなあって思わないかい?
     西郷隆盛の肖像画が実は本人をモデルにしたものでないという真実が明らかになって久しいが、こうなると(竜馬ファンには申し訳ないが)坂本龍馬の写真も怪しいんじゃないかって、疑り深い僕はどうしてもそんなふうにクエスチョンマークが頭に浮かぶのだ。もちろんそれは坂本龍馬に限った話ではなくて歴史に名を残しているすべての人物に対して言えることだ。その当時を生で見たという人間が存在しない限り、いや誰もが認めるであろうその時の映像なり画像なりがない限り疑いはやっぱり晴れない。

     こうなると真実を得るためにはもう、タイムマシンしかないな。
     
     そんな夢物語はさて置き、歴史を鵜呑みにしてはいけないっていうことを改めて頭の片隅に置いておこうと思った次第。


    ■3月だ。春はもうすぐだ。でも今年の春はちょっと寂しい春になりそうだ。仕方がない。遅かれ早かれ、いつかはそういう日が訪れるのだ。


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    2018-03-04

    2018年3月4日(日) イメージ先行CMが嫌い

    ■最近、どうにもコマーシャルというものに嫌悪感を抱くことが多くなってきた。特に実体とかけ離れたイメージを前面に押し出した演出をしているコマーシャルに対するそれが甚だ顕著である。
     よく目にするものを挙げるとコンビニ系の弁当や総菜系のコマーシャルだ。これには必ずと言っていいほど材料を美味しく調理している様が添えられる。炭火で焼いているイメージや網で一つずつ焼いている、鉄板で肉汁が染み出ているなど、それは様々である。しかし、かつて某コンビニ系の弁当工場で様々な弁当のおかずを調理する現場にいた僕から言わせれば、あれはまったくの出鱈目、いや、はっきり言って大嘘である。例えば幕の内弁当等に入っている焼き魚といった具材などは網でなんか焼かない。実体は専用紙を敷いた鉄板の上に25~50切れ単位で切り身を並べて巨大オーブンの中を通す。焼きあがったそれらは金属製の入れ物に入れられた後、他の調理済み具材が入った同じような金属製の入れ物と一緒に真空冷却機に入れて急速冷却する。そしてその冷却後の具材が実際の弁当の中に収められるのだ。網で焼いてそれを弁当箱に入れるというような普通の家庭で作られるようなやり方などほぼしていない。24時間3交代でひたすら大量に作り続ける弁当やそのための具材類に、はっきり言って手間など全くと言っていいほどかけていないのが実際のところだ。それをあんなイメージで見せつけられると、僕なんかははっきり言って虫唾が走るのだ。
     もう一つは某N〇T〇日本のコマーシャルだ。これは毎朝出かける間際頃に流れるから余計に虫唾が走る。バリバリのイメージ先行CMの極みである。例えば最近なんかだと、ある会社のPCがウィルスに侵されるのだが、それをサポートセンターが検知して、その会社に連絡するというものが主に流されているのだけれど、これがまた実際を経験したことがある僕から見ると、もう「虫唾が走る」だらけなのだ。

     どこのサポートが社長に直接連絡するねん!
     どこのどいつがすぐに来るねん!
     どこのどいつが業者に「ありがとう、助かったよ」なんて言うねん!
     何より、どこの業者が先に連絡してくるねん! すべてとは言わんが業者が連絡してくるのは、たいていの場合、現場で騒ぎになってからだ。

     この会社のCMは以前からそうなのだけれど、非常に高い割合でイメージ主導型だ。CMで流れているような情景なら確かにいいもんだと思う。しかしあの情景を期待して頼んだりしたら、とんでもない目に遭うこと必至だ。
     あのCMに限った話ではないが、CMに出ている人間たちは、そのほとんどが「CMタレント」と呼ばれている「俳優やらタレント」を目指している人達である。そして家族に見えて実際は皆赤の他人だ。夫婦のように見えても、そのふりをしている。子供、更には赤ん坊であっても同じだ。犬や猫もそういう事務所に所属している。赤ん坊や動物をも含めた赤の他人たちが家族や夫婦、親子、飼い主とペット、職場における上司と部下、同僚などなどすべての人間関係を装っているだけであり、それを我々は無理やり見せられ、イメージであるという断りもされないまま(もしくは画面の隅に、ちい~さな文字で1秒にも満たない時間で告知されている中)、さも本物の人間関係であるかのように思わされるのである。

     こんなことを気にしてCMを観ている人間なんて僕くらいかも知れない。もし同じように感じている人がいたとしても、それはたぶん少数なのであろう。だが僕はそうやって意識の中に無意識に刷り込まれてしまうような、今のCMのイメージ前面押し出しのやり方が本当に嫌いだ。これって少々違うが、日本で禁止されている「サブリミナル」効果を用いた手法と同類のように思えてならない。それに関する論理的な説明を僕はうまく書けないのだけれど、つい最近見た某健康化粧品会社のCMに出てきた女性に対して、どこかで見たことがある(笑みを浮かべた)口元だと思い、いったい何で見たのかと必死に考え、その女性が、あの某N〇T〇日本の、以前のCMに出演していた女性であり、かつ、その口元に浮かんでいるのが同じような(作られた)笑みであると気づいて「アンタもやっぱりしょせんはただのCMタレなんやな。わかってたことやけどな」と無性に腹が立った、と書くと少しは説明になるかも知れん。

     そんなこんなで僕は今、民放で流されるすべてのCMに対して多かれ少なかれ嫌悪感というものを抱くようになってしまった。でも昔はこんなことはなかった。CM自体がイメージ戦略に偏っていなかったから、だからCMはCMだと割り切れて観ることができたのだと思う。
     でも今のCMは違うと思う。見ようによっては詐欺だと思えるようなものもあるが、往々にして作り手は「演出」という言葉を持ち出す。まるでそれが免罪符であるかのようにだ。「CM上の演出です」と告知する良心的なものもあるが、受け止め方は受け止め側の責任だと言わんばかりのものも多い。だからだろうか、昔のような良作と思えるCMを最近はとんと見なくなった。これもテレビがつまらなくなった理由の一つだろうと僕は思っている。

     以前も同じようなことを書いたが、またまた書き残しておこう。

     北大路欣也が実際にくら寿司に行ってシャリカレーを食べて、「なんだ、これはああ」なんて仰々しく独りごちる姿なんて想像できるかよ。

     松本白鸚や内田有紀がソニー損保に入っているとは思えない。

     竹中直人がSMBCモビットのようなカードローンを利用しているわけがない。

     TOKIOが普段スズキのソリオのような軽自動車に乗るか、ふつう?

     吉田羊が日々エプソンのプリンターのインクの容量なんかを気にしていたらビックリだ。

     松山ケンイチがリクルートスタッフィングのCMに出ているからと言って派遣社員のことを理解しているとは考えられん。

     宮崎あおいがリクナビで転職するわけがない。

     ビッグモーターに行けば佐藤隆太がいると思ったら大間違いだ。

     斉藤工は「仕事探しはインディード」と毎日しつこく言っているが、だからと言って仕事探しなんかしていないだろう。
     もちろん柳楽優弥だって「フフフフーンに入ろかな」としつこくつぶやきつつもWOWWOWに加入しているかどうか怪しいものだ。


    ■先ほどテレビで宣伝があった。
     今年も「R-1グランプリ」ってやるんだね。

     さて今年はどんな「裸芸人」がグランプリを取るんだろうね。

    「R-1グランプリ」の「R」は「落語」を意味するものだったと聞く。元々は座布団に座って漫談をすることが決まりだったらしいが、2回目からはその規定がなくなって「一人芸で誰が一番おもしろいかを決める大会」になったそうだが、いっそのこと「裸芸大会」にすればいい。そしてタイトルも「R-1グランプリ」じゃなくて「H-1グランプリ」にすればいい。たぶん僕は今年も観ないと思うけどね。

     

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    イクタシバ イタル

    Author:イクタシバ イタル
    イクタシバ イタル
    いくたしば いたる 
    50代半ばのオッサン。
    今も現役のSE&PG。
    好き勝手なことを書いています。
    望んでいるのは結局穏やかな暮らしなのでしょう。

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