2018-04-30

    第44話 Facebookへの道(1) (初掲載 2017年4月10(月))

    第44話 Facebookへの道(1)

    ◆先日のことだ。ちょいと探し物があったので部屋のクローゼットを開け、中に積んでいたプラスチックケースの中を片っ端から(と言っても透明のプラスチックケースだから中身の察しがつくので対象と思えるものを)探していた。すると昔のアルバムやら手紙やらを入れていたケースがあった。そう言えば何年か前に実家に置いたままにしていた昔のがらくた類を持ち帰ったのだけれど、それをそのままクローゼットに押し込んで終わってしまっていたことを思い出した。中身を確認せねばと思ったものの、今は別のものを探しているわけだから、それは後回しにすることにして、まずは元々の目的としていた「とある物の探索」を優先させた。
     幸いなことに探していたものは、さほど時間がかからない内に見つかった。これは非常に珍しいことだ。僕が何かを探す時、それはけっこうな時間を要することが常なのだ。そしてそれでも見つからなかったという結果で終わる確率が非常に高い。それを個人的には「探しても見つからない病」というベタな表現で、自分の人生はそういう慢性の病気に冒されているのだと半ば諦めているのだけれど、今回はどういう風の吹き回しか、思いがけずスムーズに目的を成し遂げた。
     ならばどうせだ。想定していた時間が空いたのだから、前述の、ケースに入れてそのままにしているがらくた類を、この際きちんと整理することにした。

     ケースの蓋を開けた。まず目に飛び込んできたのは、いくつかの封筒だ。よく見かけるサイズの封筒だけでなく大きなサイズの封筒もある。それらの封筒の中身を一つずつ確認したところ、まずは高校時代の冊子の類がいくつか出てきた。その中には何と高校の合格通知書まで入っていたものだから、まだこんなものが残っていたのだと、ちょっと驚いた。大学の合格通知書は別の場所にきちんと保管していたのだけれど、よもやこんなところに高校の合格通知書が残っていたとは夢にも思わなかったから嬉しさも半分あった。
     普通の封筒は社会人になった頃に親や姉からもらった手紙の類だった。改めて読んでみると、どれも僕のことを心配する内容だった。当時僕は入社して3週間ほどで、いきなり関東地方に飛ばされて、バタバタと移動したものだから周りからすごく心配されたのだ。今頃思うのも何だけど、自分の娘が社会人になった今だから親や姉が書いたその手紙の内容が痛いほどよくわかった。
     更にケースの中身を見てみると、小・中・高、そして大学の卒業アルバムがあった。おまけに卒業時に作られた文集のようなものまで残っていた。
     小・中の卒業文集は、いずれもわら半紙に刷ったものを黒紐で束ねている。当時はまだガリ版印刷(謄写版印刷)なるものが全盛の時代だった。僕らは緑色のロウ原紙にボールペンを使ってロウを削るようにせっせと文字を書き、絵を描いたものだった。
     高校のものになるとさすがにわら半紙ではなくて普通の白い紙になったが、それでも今みたいに簡単には作れなかった。確か個人個人が手書きした原稿を集め、専門の業者に持っていって印刷と製本をしてもらった記憶がある。今なら製本はまだ手間がかかるとしても原稿はPCやインクジェットプリンター、コピー機を使えば簡単にできるようになった。装飾も今なら写真だけでなく色々なものがある。あの頃今のような技術や機器があったら、きっともっと面白いものができただろう。もしかしたら電子ファイルだけかも知れない。それを考えると今時の学生さん達は僕らが作ったような卒業文集みたいなものって作るのだろうか? 今度暇なときに娘の時はどうだったのか訊いてみることにする。
     でもわら半紙で作られた文集も捨てたもんじゃない。なぜなら作られてから約40年経っても、きちんと形そのままに残っているのだから。印刷が経年劣化で若干薄くなったような気がしないでもないが、それでも中身は今でもきちんと読むことができた。やっぱり紙ってすごい。改めて思うのだけれど、人類はこれまでに培ってきたアナログ技術を絶対に捨ててはいけないし廃れさせてもいけない。デジタル技術同様、これからもずっと残しておくべきだ。
     そんなことを頭の中に少し浮かべつつ、僕はあの頃こんなことを書いていたんだと当時の自分のことを思いながら自分の文章を読んだ。そして更には、同級生たちが書いている文章に、こいつはこんなことを書いていたのか、この子はかわいらしいことを書いているじゃないか等々の思いを重ねた。
     それらを読み、総じて言えることがある。それは「ピュアだ」ということだ。汚れていない。少なくとも今の僕にはこんなきれいな文章は書けない。もし今、同じテーマで書けと言われたら、きっと知らぬ間に身に着けてしまった「大人のずる賢さ」で、あれこれこねくり回してしまった文章になるだろう。そしてそれは後々読み返したらうんざりする代物だろう。大人になったということは、そういうことでもあるのだということを、十代の頃に書いた文章を読んだ今の僕は肯定せざるを得ない。

     卒業文集の類に一通り目を通した後、僕は卒業アルバムを見ることにした。順番はやはり、小・中・高・大学の順がいいだろう。
     それにしても何年ぶりだろう。もちろん中身に関してはある程度覚えているのだけれど、それでも細部に関してはやっぱり忘れていた。当たり前と言えば当たり前だ。
     当然の事なんだけど、それらに写っている僕や皆の姿は非常に若い。いや正確に書くとすると、小・中は「幼い」、そして高校や大学になると「若い」のだ。今見るに、本当に歳月の流れというのは残酷だ。もう二度とこの眩しさを身にまとうことはできないし出会うこともない。はっきり言って別人だ。でもすべての人間がそうなのだ。誰一人として例外はいない。
     そしてそのことを嫌というほど味わった僕は更に今頃になって新たに気づかされた。
     高校時代の女子たち……、きっと今は皆50代半ばの立派な「おばちゃん」か、人によっては「おばあちゃん」になっているだろう。もちろん僕も立派な「おっさん」だ。(辛うじてまだ「おじいちゃん」にはなっていない。大叔父さんにはなっているが……)写真と現実を並べれば現実は気が狂いそうになるほど残酷なものだろう。だがその残酷な現実を暫し忘れて、単に純粋に目の前にある写真だけを見ると僕の胸の内に明確な事実だと言える思いが湧いてきたのだ。

    (次回「第45話 Facebookへの道(2)」に続く)



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    2018-04-30

    第45話 Facebookへの道(2) (初掲載 2017年4月11日(火))

    第45話 Facebookへの道(2)

     改めて書こう。

     高校時代の女子たち……、君たちは何て可愛いのだ! そして何て美しいのだ! 

     僕はバカだった。あの頃、僕は君たちが持つその可愛さや美しさに気がつかなった。いや、正確には若干名の方々に対しては、それに気が付いたりしたが、実はもっともっとたくさんの女子たちが輝いていたのに僕はそれに気がつかなかったのだ。思えばそれらを見つける力が身についていなかったし、身に着けようともしなかった。今頃になってそれに気がつくだなんて本当にバカとしか言いようがない。
     できればあの頃に戻って現実としての君たちをきちんと見直してみたい。もちろんあの頃の僕に戻ってだ。そうすればきっとあの頃の日々がもっともっと光り輝くものになるだろうし、結果としての今ももっと違ったものになったかもしれない。
     だがもうすべては後の祭りだ。タイムマシンでも開発されない限り、そんなことはできるはずがない。いや、できたとしても、それをやってどうなるのだろう。今よりもましな結果が生まれるかも知れないが、きっとそれでもまた何十年か経ったら更に、より多くを望むことになるに違いない。そうなるともうきりがなくなって、とどのつまりは永遠にあの頃に生きることを欲するようになってしまう。それが果たして幸せなことなのか?
     そうでなくとも今こうやって今や未来よりも過去にすがるような気持ちになってしまうことがいいことなのか?
     どう考えるかは人それぞれだ。一般的にはもっと今や未来に向かって生きるべきだというのが主流だろうが、過去にすがって生きるのも未来に希望が持てなくなった現代人の一つの生き方だ。誰しもがそんなに強いわけではない。
     僕はどちらかと言うと後者だ。過去を愛おしく思うタイプだ。でも現実はしっかりと直視しなければいけないとも思うから今や未来のことも考える。だからあの頃の友人たちは今どうしているのだろうと思った。

     これまでに何度か同窓会といった催しがあったが、僕はまったくと言っていいほど参加しなかった。それはほとんどが表向きには「諸事情により都合が合わない」というのが理由だったのだけれど、「今更何十年も前のクラスメートに会って何がどうなるんだ?」という気持ちが強く、そこに更に面倒くさいという気持ちも加わっったものだから、そういった会合をないがしろにしてきたというのが実際のところだった。しかし、こうやってたまたま久しぶりに昔の文集やら卒業アルバムやらを見て、思いがけずそれまでは感じたことがなかった気持ちを見つけた。たぶんそれが僕に、あの頃の友人たちのその後を気にさせているのだろう。
     とは言え、あの頃のクラスメートたちが今どこにいるのか、僕は正直なところほとんど知らない。辛うじて同じ大学に行った何人かの友人とは今でも付き合いがあるが、それ以外はもうまったくわからないと言っていい。これまでずっと繋がりをないがしろにしてきたのだから当たり前と言えば当たり前のことなのだ。そんな状況でかつての友人たちの消息を知ろうと思うと、今ではもうあれをするしかないと思った。

     あれとは「Facebook」だ。

     数年前、僕はFacebookを大いに利用している友人から「お前も登録しろよ。懐かしい奴らとまた交流できるでぇ」と勧められたのだけれど、当時の僕はネットに本名をあからさまにすることに抵抗があったものだから、その申し出を断った。と言うのも僕の本名は姓も名も少々珍しく、おそらく同姓同名の人が存在しないであろうものなので、ネットに本名が出てしまうと親族はもちろん、知人や仕事先にも間違いなく一発で僕だとバレてしまう。更にはそれによって家族に何かしらの迷惑がかかるかも知れない。こういったことが僕はどうしても嫌だったのだ。
     しかしこの度はどういうわけか、こういうことが気にならなかった。あれから何年か経って、本名をあからさまにすることへの抵抗感が薄れたからだろうが、それ以上に、既に娘がFacebookに登録していたということが大きい。自分が本名をネットに公開することで娘が何か危険な目にあったら大変と危惧していたのだけど、そんなことは僕の勝手な思いに過ぎなかった。娘はもう何年も前にFacebookに登録していて幼馴染み、クラスメート、いとこ、同僚はもちろん、好きなアーティストのコンサートで知り合った人たちとも交流している。
     現代は、そういう時代なのだ。個人的には手放しで喜ぶことではないと思うのだけれど、もうこういったSNSを使うことが前提になりつつある世の中であることを僕は今になって認めざるを得ないと思ったのだ。

     僕は自分でも信じられないくらい、あっさりとFacebookへの登録を行った。さほど詳しい情報は登録しなかったが、かつて僕という人間と知り合ったことがある人ならば、僕のページを一目見れば、すぐに僕だとわかるだろう。
     登録後、僕にFacebookへの登録を勧めた例の友人を探した。するとすぐに結果に出たものだから彼のページを見させてもらった。彼の「友達」の中に共通の知人を何人か見つけた。その中には今の姿を公開している人がいた。故郷を離れ、今は遠くで暮らしている人もいた。皆既にそれぞれの道を遠く遠く歩んでいるし、大きさの違いはあれど自分たちの世界を構築しているようだ。きっと皆、少なくとも僕よりはまともな人生を歩んでいて、僕みたいに過去に後ろ髪を引かれたりはしていないのだろう。そう思うとこれはまた僕に一つの「隣の芝生は青い」観を与える代物だったのかもと思ったのだが、ここはそういったマイナス面は無視することとして、これからいくつかのプラス面が現れてくるものと思うことにしよう。なあに、Facebookに登録したことで僕が失うものなんて何もないのだ。

     それにしてもFacebookというのは設定がややこしい。今までブログ、Twitter、LINE、mixi等々、色んなものに手を出してきたが、その中でFacebookが一番操作がしづらい……。学校や過去に住んだところなどを登録すると、日付が入力した日付と微妙にズレたりするものだから削除して再入力するってことを何度かやっていたら、いきなり一部機能がブロック云々というメッセージが出て保存できなくなった……。
     どういうことだ? Facebook初心者の僕にはまだまだ解明できていないことでいっぱいだ。これでは先が思いやられる。

     さてさて、僕はこのFacebookとやらを使って過去の人たちと再び交流することができるのでありましょうや?


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    2018-05-13

    第50話 ギター(1) (初掲載 2017年4月17(月))

    ◆現在のところ自宅には2本のギターがある。1本はフォークギター、いや今はアコースティックギター、略して「アコギ」だね。そしてもう1本はエレキギターだ。
     最近、久しぶりにギター熱が復活してきて、時間をみては少しずつ練習している。

     僕は小学5年生の頃にギターに目覚めた。いや正確には幼稚園に入る前の幼少の頃からギターというものに執着があった。確か4歳くらいの時だ。僕はブリキ製の小さなおもちゃのギターがすごく好きで、よくそれで遊んでいたのだけれど、ある時それが壊れてしまった。僕はそれが悲しくて大そう泣いたようだ。そんな僕を見た親はかわいそうに思ったのだろう、同じようなおもちゃのギターを探したらしい。しかし、どこにもそんなおもちゃは置いていなかった。そのため仕方なく親は楽器屋に行ってウクレレを買い求め、それを僕に与えた。僕は親からそのウクレレを渡された時のことを、今でも薄らと覚えている。
     ではそれから幼い僕が一生懸命ウクレレを弾いたかというと、まったくそんなことはなくて、ウクレレはやがて箱にしまわれて押し入れの中に眠ることになった。そもそも僕はもちろん、親も、そして周りにいた他の誰もウクレレどころかハーモニカといった簡単な楽器でさえまともに演ずることができなかったから僕がウクレレをきちんと弾くことなんてなかった。単に四本の弦が張ってあるギターのようなおもちゃとしてウクレレは存在したのだ。
     そんな家であったが、実はウクレレがやってくる前に既にガットギター(クラシックギター)が1本存在していた。どんな経緯でそれが家に存在するようになったのか僕は今も知らないのだけれど、押し入れの中にそれはケースの類に入れられることなく裸のまま置かれていた。
     父はたまに、本当にたまに思い出したかのように押し入れからそれを出してきて、幼い僕に弾いてみせたのだが、残念ながらそれは単に弦を一本ずつ親指で、弾く(ひく)のではなく無為に弾き(はじき)続けるというだけの、メロディなんてものが一切存在しない、演奏というものには程遠いものだったから僕は一切興味を示さなかった。(推測だが父は当時流行っていたベンチャーズの曲、例えば「パイプライン」という曲の「テケテケテケテケテケテケ」辺りを模していたんじゃなかろうかと思うのだが確認は取れていない。たぶん本人に今それを訊いても「そんなもん忘れたわ!」と言われるのがオチであろう。)実物は家にあったものの、結局僕は小学5年生になるまでギターというものに興味を示さなかった。だからガットギターはもちろん、ウクレレも、それまでは押し入れで眠り続けていた。

     僕が本格的にギターに目覚めたのは前述のとおり小学5年生の時だ。きっかけはその1年前に、あるグループの存在を知ったことだ。グループの名前は「The Beatles」(ビートルズ)だ。ある日、車に乗っていたらラジオから彼らの曲が流れてきた。その時はもちろん誰の何という歌なのかわからなかった。親に訊いてもわからない。邦楽ならともかく洋楽だからなおさらわからない。だから僕はそれからしばらくの間、自分に聴こえたとおり「エルピー、エルピー」と口ずさむしかなかった。
     数ヶ月後、姉から、それがビートルズというグループの「Let it be」という歌だと教わった。そしてそれをきっかけにして僕はビートルズにのめり込むようになった。ジョンやポールがギターを弾きながら歌うその様に僕は自分を重ねた。僕も彼らのようにギターが弾けるようになりたいと思った。
     僕は押し入れに眠っていたあのガットギターを引っ張り出し、訳も分からずに弾き始めた。しかしコードはもちろん、調弦のことも知らなかったからやみくもに訳のわからない音を出しているだけで、それは今で言う「エアーギター」とさほど変わりのないものだった。
     しかし幸いなことにその少し前、姉がフォークソングに興味を持ち始め、当時流行っていた(安物の)白いフォークギターと教則本の類を手に入れていたから、僕はその教則本を姉から借りてイロハを勉強しつつ練習した。だから僕が初めてギターで演奏した曲はビートルズの曲ではなく、その教則本に載っていた井上陽水の「夢の中へ」である。
     姉はギターを始めたもののすぐに挫折した。ギター初心者によく見られる「バレーコードの壁」にぶち当たり、それを克服できなかったのである。もちろん僕もぶち当たった。「夢の中へ」にはバレーコードは一切なかったから弾けたものの、次に練習した「心もよう」はバレーコードだらけでまともに音が出せなかった。何度かくじけそうになったが、自分で楽器を演奏して歌うという楽しさを知ってしまったこの頃の僕がギターを弾くことをやめることはなかった。ギターを古いガットギターから姉が使わなくなった白いフォークギターに換えて暇があったら練習した。
     教則本の表紙には「一週間でギターが弾けるようになる!」とあったが、結局バレーコードの音をきちんと出して弾けるようになるのに一年かかった。(この後、あの中島みゆきさんが「一週間でギターが弾けると思ったのに結局一年かかった」というようなことを言われているのをギター雑誌か何かで読み、激しく同意したことを覚えている。)

     それから僕はギターの一通りの演奏方法を独学でマスターした。もちろんそれはプロ級のものではなく、まだまだ下手くそなアマチュアレベルだ。しかしそれでも基本のストロークはもちろん、カッティングやアルペジオ、スリーフィンガー等々、当時流行っていたフォークソングやニューミュージック系の歌を弾き語るには(自分で言うのも何だけど)充分の技量だった。
     今でも思う。僕は同時期に少年野球クラブに入っていて、中学に入ってもやっぱり野球部に入って野球を続けたのだけれど、そんな僕が並行してギターの練習を続けたという事実は今考えても本当に自分的に驚異のことである。

    (次回「第51話 ギター(2)」に続く)



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